整体空間ZEN 善はりきゅう代表
阿部 毅 Abe Takeshi
鍼灸師・整体師
北海道安平町(旧早来町)出身
1985年5月8日生まれ
血液型はA型
2007年 国家資格「はり師」「きゅう師」合格
同年 大手グループ治療院に入社し大阪の治療院のスタッフとして治療家デビュー
その後、グループ内の東京店舗に異動し院長に就任。
2014年に退職し帰郷
2015年介護の勉強の為、地元のグループホームに就職
2017年苫小牧市の整体院に就職。治療家に復帰
2019年澄川町で「整体空間ZEN」をオープン
好きなこと
護身術、バイク、麻雀、クイズ、バレーボール、ラーメンの食べ歩き、考えること、想像すること、
苦手なこと
オカルトな話、筋の通らない話、ネガティブ思考、人を馬鹿にしたり敬わない言動(人)、ビジネストーク、
特技
物事をわかりやすく説明する
性格
「やる」と決めたら一直線、筋はしっかり通す、
はじめまして。整体空間ZENの代表をしています阿部毅です。なまえは「たけし」と読みます。「毅」この漢字は「つよし」読むことが多くまた、漢字を聞かれたときに伝えずらい漢字です。例としては「毅然(きぜん)な態度」などで使われる「き」の字です。この説明は今までの人生で何回もやってきました(笑)「たけし」という名前は僕の父が昔、陸上競技をやっていて好きなマラソン選手の「宗猛」から名前を決めたそうです。ちなみに、僕は陸上競技よりもバレーボールの方が好きになってしまいました・・・
趣味は護身術、バイク、麻雀、新しいラーメン屋さん探しです。護身術は趣味と言っていいレベルではありませんが「CQC」と呼ばれる海外の軍隊の格闘術をベースにしたものを少しだけ習っていました。うろ覚えですが「ナイフディスアーム」というナイフで襲われたときの対応法などが出来ます。バイクは昔に1300ccの大型バイクに乗り日本を旅してた時期があります。その経験もあり日本地理にはちょっぴり詳しいです。結婚を機に1300ccの愛車は売ってしまいましたが、またバイクは買いなおしてライダーとして復帰する予定です。麻雀は強くはないですが家族とほぼ毎日麻雀を打っています。勝ち負けよりも麻雀をすること自体が楽しみなっていますので麻雀がお好きな方が居ましたら是非お声がけください!
性格は「曲がったものは嫌い」の融通の利かないタイプだと自分では思っています。筋の通らないものを見たりするとどうしても納得がいかないのでぶつかってしまう。そんなことが今まで多かった気がします。周りから見たらもしかしたら「僕は損をしている」と思われているかもしれませんが自分の中ではしっかりと筋を通している道なので納得出来ています。まあ、そんな性格なので自分で開業して自分の納得できる仕事を選んだのかもしれません。
弟の死が私を治療家への道に導く
私は皆様に家族の話をするとき「自分は一人っ子」とお伝えしています。でも、本当は二つ離れた弟が居ました。しかし、今この世にはいません。私が小学3年生の時不慮の事故で亡くなってしまいました。私の弟は生まれつき知能に障害があり普通に生活するのが少々難しい状態でした。そんな弟を兄弟として常に気にしながら生活していたのをよく覚えています。訃報は急でした。正直急すぎてその時自分がどう思ったかを覚えていません。ただ小学3年生の自分でも「何かしてあげられなかったか?助けてあげられなかったか?」と考えたのは覚えています。やはり、私の人生の中でこの経験が漠然と「人助けをする仕事に就きたい」と考えるようになったターニングポイントだと思っています。
そして、高校3年生の時地元の近くの専門学校で「鍼灸学科」というものがあることを知ります。実は高校時代の部活動で足に大ケガを負い辛い経験をしました。その経験もあり「『鍼灸』という技術を使って人を助ける」という仕事に興味と憧れを持ち、鍼灸師になることを決意しその専門学校に入学しました。
学生時代は正直あまり勉強した記憶はありません(笑)ただ、決してテストや課題を出来ていなかったわけではありません。昔から自分はあまり勉強をしなくても授業の内容と教科書を数回読むだけで記憶が出来ていたので周りからは「隠れて絶対勉強している!」と言われていました。でも、中高生の時の義務教育で教わる内容よりも鍼灸師の勉強で習う医学の知識の方がスラスラと頭の中に入ってきたのを覚えています。「この知識で人を治せるんだ!」という気持ちが学ぶ楽しさになっていたかもしれません。
「人生の師」たちとの出会い
2007年に国家試験に合格して「はり師」「きゅう師」の資格を取得しました。私は東京に本部がある治療院グループを経営する会社に入社。そのグループの大阪店舗の所属となりました。鍼灸師一年生でありながら私は社会人としても一年生だったので右も左もわからず、先輩方には本当に迷惑をかけてばっかりでした。その中でも大阪店舗を取り仕切る大先輩には毎日のように怒られていました。しかし、あの時あの先輩たちに怒られる日々がなければ絶対に今の私はありません。独立して自分で開業など夢のまた夢だったと思います。大阪店舗で数か月経験を積んだ後、会社本部のある東京に異動。その後退職まで務める23区内の接骨院の勤務になりました。
私は東京店舗でも上司に恵まれ厳しいながらもしっかりと自分のやり方やスタイルを持った上司から本当に色々なことを学ばせて頂きました。私は治療方法は師を持たずに様々な技術を独自改良したオリジナルの治療を行っていますが、社会人になってから治療家としての「考え方」や「スタイル」など私の人生に直結する数多くの上司たちから教わりました。私は「人生の師」として上司たちに感謝して私の治療家としてのベースにしています。
第二の治療家人生。しかし・・・
2014年、8年間お世話になった会社を退職。北海道に戻り、以前より興味のあった介護の勉強をするため地元安平町にあるグループホームに就職。その後今の奥様と出会い結婚。奥様と一緒に住むために苫小牧に移住しました。一時は苫小牧から安平町まで通っていましたが出勤距離などの関係から退職。そして、様々な就職先を考える中で事業拡大のためにスタッフを募集していた個人経営の鍼灸院に就職しました。私は「また治療の世界に戻れる」とワクワクしていました。その鍼灸院は地域なかでも非常に人気の高いところで、サービス・治療・対応など私が以前勤めていた接骨院とは違うところが多くとても勉強になりました。しかし、ここから少しずつ歯車が狂い始めます・・・
その鍼灸院は人気の高いところでしたので事業拡大は納得できました。務めさせてもらうときに自分が東京の治療院グループで吸収したことで少しでもお役に立てれば、この鍼灸院がもっと成長するために全力を尽くしたいと思っていました。
そのあと、その鍼灸院はとても大きな店舗に移転してリニューアルオープンをします。しかしなぜかここから人気のあったサービスを廃止したり治療時間や治療内容を急に変更するなど続きました。私以外のスタッフも困惑していましたが一番キャリアのあった私が皆を説得し「これでも頑張っていこう!」と励まし続けていました。しかしそれでも経営の二転三転が続き安定しない経営方針に耐え兼ね一人二人とスタッフ辞めていきました。私はキャリアがあったため比較的優遇された扱いをされていましたが、私も以前部下をもって仕事をしていたものとして、目に余る対応をされているスタッフ対しては経営陣には内緒で決起集会的な飲み会を開き私なりにスタッフの士気を保っていました。
しかし、私にも経営陣の牙が向けられるようになってきました。経営者である院長のマイブーム的な形で治療のやり方や対応・問診などの改変が度重なり私も「このままではスタッフ皆が困惑しスタッフが困惑すれば患者様が困惑する。なので、改変を行うなら急ではなくしっかりとミーティングを行い皆が納得した上で改変してほしい!」と強く訴えたことがありました。経営陣は納得し今後気を付けるとお言葉を頂きましたが残念ながらそれは叶いませんでした。
一か月後、今までで一番大きな改変が行われることになりました。治療で行う内容を全く別の物にするとのことです。皆様にはイメージが沸きづらいかもしれませんが例えるなら、「お寿司屋さんがパスタ屋になります!」これくらいの改変を一週間で行うとミーティングで伝えられました。正直言葉が出ませんでした。何より私は耐えればいいだけです。しかし治療を信じて来てくれている患者様、私を信じて来てくれている患者様がいるのです。そこを完全に無視して自分がやりたいからという完全なる院長のエゴイズムに振り回されることに絶望してしまいました。
このタイミングで私は退職を決意しました。正直これ以外にも酷いことはありましたそれをここに記してもただネガティブな文章となりますので控えておきます。
今私は、この経験があって逆に良かったと考えるようにしています。おそらくこの経験がなければ私は自分で開業するなど考えもしなかったです。「この経験が私の背中を押してくれた」そのように考え感謝するようにしています。
夫婦二人三脚で整体空間ZEN開業!
急遽の開業決意!しかし私たちの開業は「異例」だらけです!正直私は将来独立開業はうっすらと考えていましたが、ほとんど準備はない状態。何よりお恥ずかしい話ですが開業資金はほとんどない状態でした。ただ、お金の面ではだれにも迷惑をかけたくなかったので「ノー借金ノーローン」で開業準備を進めていく事にしました。なので私たちのお店はお金をかけていない分「努力とアイデアの結晶」のようなものです。
普通では業者にお願いするホームページやお店のロゴなどほとんどを自分たちに手で行っています。何より一番苦労したのがお店の内装です。本来整体院の内装なんて自分たちでやるものではありません!!でも、自分たちの資金で開業するためにはこれが一番の方法でした。内装デザインは奥さんがアイデアから構図までを行ってくれました。奥様のアイデアがなければ整体空間ZENは今存在していません。
そして、開業するテナントも決まり数少ない「DIY整体院」内装工事着工!!
実は、お店のオープンを6月26日と決めていたのですが、テナントを借りるお金も節約するためにテナントを借りたのは6月1日!約3週間でお店の内装を素人の僕たちでやるスケジュールだったのです。そして、私と奥様二人ともまだ仕事をしていたので実質2週間ほどの時間しかありませんでした。でも、早くやらなきゃいけないという焦りよりも少しずつ自分たちの手で夢を作り上げていっているようでとても楽しい思い出となっています。
忙しくそして楽しく
あっという間にオープン日を迎えました。お世話になった先輩や後輩。良くして頂いた患者様からお祝いのお花やお言葉がとてもうれしかったです。私の開業は以前いた鍼灸院からネガティブな形で袂を分かち独立。正直「あまり歓迎されてないのでは・・・」と不安でした。しかし、様々な人からのお祝いや応援を頂き「自分は間違っていなかった」と確信できるようになりました。
辛い経験をした自分だからこそ出来る治療がある・私だからこそできる話がある・より皆様に寄り添うことが出来る。この経験から得ることが出来た私の整体院の得意技です。
整体空間ZENはまず患者様の事を第一に考えます。
患者様に負担にならないか?
患者様に喜んで頂けるか?
患者様がどう考えるか?
このようなスタイルになれたのは私の人生と整体空間ZENの歩みにルーツがあるのです。